四国遍路の発祥は松山?衛門三郎伝説

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開創1200年を迎えた四国遍路。第1札所は徳島県にある一乗院。

そして弘法大師(空海)の生誕地は香川県と知られています。

我が松山はどうなのか?知る人は知る「衛門三郎伝説」

数年前に、菩提寺である太山寺の住職から法事の際にそのお話を聞きました。

下記のリンクに「衛門三郎伝説」が紹介されていますので、読んで見てください。

→ http://www.ku-kai.org/kono.html

簡単に要約すると・・・

遥か昔、現在の松山市恵原町に衛門三郎という強欲な長者が住んでおり、
衛門三郎の門前にて托鉢の修行をおこなっていた弘法大師を弘法大師と知らず、
追い返し振りかざした竹箒で弘法大師を叩くと持っていた鉄鉢が8つに割れてしまい、
その翌日から衛門三郎の子ども8人が一週間の内に急死。
その旅の僧が弘法大師としり、罪を償う為に白衣に身を包み旅に出たことが四国遍路の始まりと言われています。

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8年間遍路を続けたが、弘法大師と出会えず、逆打(逆回り)をすれば会えると思い逆打をおこなったところ
徳島県の焼山寺の麓で衛門三郎は倒れてしまい、死を目の前にしたところに弘法大師が姿を現し、
弘法大師に謝罪をするとともに、弘法大師が死を目の前にした衛門三郎に何か願いを一つだけ叶えてあげると言ったところ、故郷伊予の国主河野様の嫡男に生まれ変わりたいと懇願。

弘法大師が小石に「衛門三郎再来」と書き手に握らすと、衛門三郎は息を引き取りました。

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その後、伊予の領主・河野伊予守左右衛門介越智息利に玉のような男の子(息方君)が誕生したが、
その子どもの片手が開かず、文殊院に向かった両手を合わせ、南無大師遍照金剛とさんべんお唱えすると
手が開き、その手の中から小石が現れ「衛門三郎再来」と書かれていたとされます。
その小石を安養寺へ持って行き納め、それ以来、安養寺を石手寺と改めました。

我が松山がもしかすると、四国遍路の発祥?とも感じ取れる伝説のひとつです。

こうした、地域の伝説は地域の宝となります。

きっと松山人でも知らない人多い伝説です。地域には宝がたくさん!