風化しない為に・・・・合掌

今日は追悼の意を込め、下記の文章をシェアします。

Facebookでみかけた文章です。長崎と同じく広島に投下された原爆によるお話です。

広島

ヒロシマ

HIROSHIMA

私の母は、その日ヒロシマに居た

大きなお菓子問屋の末娘として

蝶よ花よと

何不自由なく

育った。

お手伝いさんが8人居て

優しい父と

朗らかな母

特攻隊に志願した兄

ヤクザな兄

蝉がいつものように

やかましく鳴いている

1人部屋で人形と遊んでいたその時

ふっ、と体が宙に浮き

一瞬で部屋の外へ吹き飛ばされた

今の今まで住んでいた
大きな二階建ては

あたかも巨人に
蹴り飛ばされたがごとく

跡形も無くなった

見渡した風景は、

異国の戦地か

地獄か


耳を劈く轟音

天を覆うおどろおどろしい

暗雲

暗雲の中を縦横に走る稲妻

一瞬で

何もかも消し飛んだ

大きな家は

潰れ

大きな梁の下に

母の足だけが見える

体の半分を無くした父が

断末魔の叫びを上げる

火の手があがる潰れた我が家の

大きな梁に下敷きになった母を

助けるべく兄は泣きながら動かそうとする

母は、「行け!行け!」と
半日、その場で

父母を見ていた

段々と火の手があちらこちらであがり

彼女の目の前も火の手があがる

まるで生き物のように

両親を焼いていく

何も出来ず

ただ呆然と両親が焼けていくのを

だまって
見ているしかなかった…………

そして

目の前に繰り広げられる

地獄絵図………………

彼女は今

近くの小学校へ

原爆の語りべとして

出向く。

小学生達が

どこまで理解できているのか?

こんなに凄惨な話しでよいのか?

自問自答しながら

その日を語る

母が言う

「あの日…………
あの後…………

蝉は鳴いていたかしら?」

しばらくして…………。

「うん。」

「鳴いてた。」

「たしかに鳴いてた」

そういうと

いつも涙している

小さくなった母がいる……

奇しくも

唯一の被爆国である日本は

いまや、世界でも類を見ない

放射能汚染国となった

駄々漏れの放射能

母は言う

「なぜ逃がさないの?」

「この国は二度死ぬの?」

年老いた母は

深い溜息をつき

今年はいつもより

口数が少ない…………。

今年も蝉は鳴いている…………。

>ここまで

68年前の今日長崎県松山町500m上空にてプルトニウム原爆が爆発し

約7万4千人の市民が死亡。約7万5千人が重軽傷を負いました。

広島の対岸である私が住む愛媛県松山市でも、広島に原爆が投下された日に「キノコ雲」が見えたようです。

私が小さい頃、今は亡き祖母が伝えてくれました。

当時を知る人が減る事で、風化されていく恐れもあります。

いつまでも、語り次ぎ同じ過ちを繰り返さないことが大切だと思います。

原爆犠牲者の御霊に追悼の意を捧げます。